LOGOS 〜 あしたのために

誰かの「あした」をHappyにしたい

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備忘録として、自身のこれまでのコラムをまとめました。
寄稿したけれどすでにそのサイトが閉鎖されてなくなってしまったものもあるので、全てではないのですが、、
 
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神様からの恩返し〜少年メッシと狂犬メッシ

(画像は日刊スポーツより)

“史上最高の決勝戦“ と言われた「アルゼンチンvsフランス」
 
数々のタイトルも名声も手にしてきたけれど、唯一W杯だけは手に入れていなかったメッシが待望の載冠にようやく届いたハッピーエンド。
メッシは既にマラドーナを超えた存在だと自分は以前から思っていたので、それをメッシが名実ともに証明したということだけでも、サッカーの歴史に残る一戦だったのではないだろうか。
 
メッシはこれまでずっと世界中のサッカーファンを虜にし、幸せにし、少年少女たちに夢を与え続けてきた。メッシを見てサッカーを始めた子どもは多いだろうし、メッシに憧れて今でも努力している少年少女の選手も世界中で数知れず多いだろう。
子どもたちだけでなく、メッシに夢を見て、メッシに幸せな気持ちにさせてもらった人々は世界中にどれだけいるのだろうか。想像がつかないくらいに多いよねきっと。
そうしてメッシは、大人子ども国籍問わず、あらゆる人たちに夢を与え、幸せを与え続けてきてくれた。
2000年代に入ってからのサッカー界最大の功労者であることは間違い無いだろう。
 
 
あの決勝戦。ジェットコースターのような展開の中で最後にアルゼンチンが勝つことができたのは、あの瞬間にメッシの前にボールがこぼれてきたのは⋯
これまでメッシが世界中のサッカーファンを虜にし、幸せにし、少年少女たちに夢を与え続けてきたことに対する「サッカーの神様からの贈り物」だったのだと思う。いや、贈り物というよりは「神様からの恩返し」と言うべきかもしれないですね。
 
 
この動画に寄せられた誰かのコメントが秀逸すぎたので紹介します。

「メッシがワールドカップを手にするために必要だったのは、全盛期の神がかったスピードやテクニックじゃなくて、執念と泥臭さと信頼できる仲間だったんだな」

もう本当に。これにつきますね。
 
さて
神様からの恩返しとともに今回のコラムでもう一つどうしても言いたかったのは、後半、同点に追いつかれたシーンのこと。
エムバペのスーパーゴールで追いつかれた後、メッシは何故か笑っていたんですよ。
W杯の決勝戦、せっかく2−0でリードしていて優勝まであと少しと迫っていたのに、フランスの波に引き込まれ一気に同点に追いつかれてしまった。
普通ならば落胆だったり深刻な表情を見せてもいいはずなのに、あの時のメッシは笑っていた。これは映像にもはっきり抜かれていましたよね。
 

youtu.be

(動画内、0:53あたり〜)
 
ここから勝手な完全妄想モードに突入するのですが、おそらくあのとき、メッシは少し嬉しかったんじゃないかなって思うんです。
いやさすがに嬉しいわけはないのかもしれないけれど、夢に見続け求め続けてきたW杯の決勝戦。やはり簡単には勝たせてくれないこんなシーソーゲームとなって「おいおい、ちょっと楽しいな」って思ってたんじゃないかなって。
 
タイトル、お金、醜痕にまみれたサッカー界のど真ん中で生きてきてそれらに翻弄もされながらここまできたメッシが、久しぶりに試合を楽しんで、ひょっとしたら子どもの頃のストリートサッカーを思い出していたりしたんじゃないかな。願望も込めて、自分はそう信じたいと思います。
 
自分がボールを奪われたことへの照れ隠しかなとも一瞬思ったけれど、そんな器じゃないよなメッシは。
「こんな展開、キャプテン翼の全少決勝・南葛vs明和と同じじゃねぇか!」
と思った可能性は1%くらいあり。
 
記憶に残る限り、自分は86年のメキシコ大会からW杯を観ているのですが
(90年イタリアは実際に現地で決勝まで観戦)
多くの方が言われている通り、間違いなく今回が「史上最高の決勝戦」だった。決勝戦てとかく慎重な内容になったり「やっぱりこっちが勝っちゃうよね」みたいに一方的な試合になることが多いのだけれど、今回はあそこまでのジェットコースター展開、そしてそれだけでなくやはりメッシのこれまでのストーリーも込みでの試合そしてあの結末だったので、余計に「史上最高」に箔がつくものとなったのだと思います。
 
最後に「狂犬メッシ」
メッシが少年に戻った瞬間が見られた(と勝手に思っているだけ)この決勝戦は一生忘れられない試合になりそうですが、そうは言いつつ、準々決勝のオランダ戦でゴールを決めた後にオランダ監督のファンファールに向けてリケルメの耳当てポーズで挑発したり、試合後もファンファールの元へ行き「お前は喋りすぎだ」と喧嘩売りに行ったり、試合後のインタビューでこっちを見ていたオランダの選手に対して「何見てんだバカ。あっちいけ」と言い放った「狂犬メッシ」も自分はとても大好き。何故かメッシは聖人のイメージがあるけれど、実は全然そんなことないのよね。
 
あのリケルメポーズを見て、アルゼンチンの国民はみな溜飲を下げただろうな。
情を隠さないメッシ。最高じゃないか。
こういう人間ぽいところも含めて、自分はメッシが大好きなんだった。
 
2000年代最高のヒーロー・メッシが35歳を迎えてようやく辿り着いたW杯のタイトル。名実ともに果たしたマラドーナ超え。
メッシ時代とその後、を分ける意味でもこの2022年W杯は後世に語り継がれるものとなった。だからこそ、サッカー界にとってもハッピーエンドだっだのだと思う。これからはエムバペの時代になるのか、それとも全く別のヒーローが出てくるのか。楽しみですね。
 
 

 

 

 

目を澄ませるべきは僕らだった 〜 名作「ケイコ 目を澄ませて」

2022年の大晦日、一年の最後にとても良い映画に出逢うことができた。
 
「ケイコ 目を澄ませて」
聴覚障害者の女子プロボクサー、ケイコの物語。
 

happinet-phantom.com


良質で、上質で、情熱的な物語。全編に渡りあたたかく、何よりケイコを演じる岸井ゆきのがとにかく凄い。彼女を見守る会長役の三浦友和も、とても大きくあたたかい。
 
ありきたりのお涙頂戴ではないし、障害を乗り越えて!という安直な物語でもない。
劇的な展開もハッピーエンドもどんでん返しもないけれど、でも。思い出すだけでとめどなく涙が出てくる、そんな作品。
個人的には、ここ数年の邦画で間違いなくNo.1の名作。
 

 
ケイコは言葉を発さないけれど、ケイコの目や表情が言葉以上に雄弁に彼女の想いを語る。それを僕らも見逃してはいけないから観ている僕らこそが目を澄ませてこの映画を観ないといけないのだと、映画が終わった後に気づかされる。きっと一回観ただけではケイコの心の奥底には到底辿り着けていないし、彼女の衝動や慟哭、はたまたちょっとした気持ちの変化、そしてなぜ彼女がまたボクシングを続けようと思ったのかというその刹那の瞬間をきっと俺は見逃しているはずだから、これはまた明日にでも観に行きたいとすぐに思った。
初見だけでは辿り着けなかったケイコの心の機微や変化を、それこそ「目を澄ませて」感じ取りたいと。
 
物語の断片断片やケイコの表情を思い出しながら大晦日の夜を過ごしモヤモヤした結果、さすがに2日連続元旦の日に行くのは避けたが(行く寸前だったけれど)1月2日の昼、溜まらずに2回目を観に行ってしまった。
最初から「目を澄ませて」心を研ぎ澄ませて観ようとしたおかげか、初見よりもこの2回目のほうがよりケイコの変化を感じ取ることができた気がする。初見では気づかなかったケイコの表情や目の変化から、彼女の喜び、悲しみ、迷いや憤り、そして希望を、少しは感じ取れた気がする。その分、初見よりも今回の方がズシりと沁みた。3回目行くなこりゃ。
 

 
希望を失いかけていたケイコに会長が優しく語りかけるシーンで僕らは初めてケイコの声を聴くことになる。彼女が振り絞るように出す小さな声、会長のやさしさと大きさ、そして会長を心から信頼して頼っているケイコを見て堪らない気持ちにさせられる。どうか幸せになってほしいと、スクリーンの中のケイコに思いっきり感情移入し涙を堪えるのが難しかった。

そして再びボクシングをしようと決めた直後、会長と一緒にシャドーボクシングをするシーン。
ケイコが泣いている。いや、泣くのを我慢しているというべきだったか。このシーンでとうとう涙腺が豪快に崩壊した。何度でも観たい、日本映画史に残る名シーンだ。
 

 
実はこの作品、BGMが一切ないんですよ。でも「音」が欠かせない映画。さまざまな「音」が、この映画のもう一つの主人公。
その秘密は実際に劇場で観て聴いて感じてほしい。絶対に映画館で観るべき作品だと言い切っておきます。
 
劇中で唯一流れる音楽は、ケイコの弟が劇中で弾き語るまだ創りがけの曲の一節のみ。この曲は予告編でも流されているのだが、これがまた実にいい。ミュージシャンを志す心優しい弟と、その彼女のハナ。彼女はケイコとコミュニケーションを取りたくて手話を習い始める優しさを持っている。そんな彼女に、ケイコも心を開いていく。
 
 
ケイコ、弟、ハナの3人が団地の外で一緒にシャドーボクシングをしたりハナがケイコにダンスを教えたり。このシーンでは滅多に見られないケイコの満面な笑顔が見れる。見ているこちらも思わず嬉しくなってしまう。このシャドー&ダンスシーンでも、そして会長の奥さんがケイコの日記を朗読するシーンでも、そのバックには弟が奏でるアコギと鼻歌だけの良曲が数分やさしく流れる。それはまるでケイコをやさしく見守り包む弟だけでなく、会長をはじめケイコの周りにいるあらゆる人達がそのやさしさでケイコを包んでいる象徴のようにも聴こえて、僕らの心により沁み入ってくる。
 

 
難聴というハンデを抱えながらも今を生きるしかないし、これからも今を生き続けていくしかない。そこにボクシングという生きがいをどう繋げていくのか。それはこれからもきっと続いていくケイコの物語であり人生そのもので、何も派手なラストではないのだけれど、会長からもらったキャップを被りなおし土手を駆け上り走り出していくケイコの姿に、明日も普通に続いていく彼女のこれからが、観ている僕らの心の中で紡ぎ出されていく。

やはり音のないエンドロール。しかしそのエンドロールが全て終わった後に聴こえてくるある「音」によって、僕らは彼女の今の明確な意思を感じ取ることができる。映画の物語はここで終わるけれど、彼女の人生はこれからも続く希望の物語なのだということに安堵しながら席を立つことができた。少なくとも自分はそうだった。
 

 
静かだけど、雄弁に語る物語。海外では「小津がミリオンダラーベイビーを撮ったような作品」と評価されたとか。とても言い得て妙だ。
 
年の最後と最初に衝撃的な好作品に出会えた幸せを感じながら、新年を迎えることができた。
岸井ゆきのが天才。
 

 

最初で最後の意思表示

 

「正式にプロのライターを名乗る」と意思表明をしたら、SNSを通してや直接だったりと方法はさまざまで、たくさんの方から反響をいただいた。有り難いことです。

 
自身のプライベートnote もあるのだけれど、そちらではそれこそ自身のこと、仲間のこと、またライター仕事には相応しくない軽い内容だったり、くだらないことも相変わらず書いていくつもり。一人の人間で一つの人格なので(多重人格説もあるのだが)ここではこう、こっちではこう、と明確に線引きするのも難しいのだけれど、ともかくそんな感じでプライベートnoteは継続して自由に書いていくとして
 
きょうの議題はこっち。
この「LOGOS 〜 あしたのために」をホームとして書いていくことや、多方面の媒体さんから依頼を受けて書くことについては、主にふたつに分けていこうと思っています。
 
一つは
スポーツ、社会、その他⋯その都度そのタイミングにおいて「書かずにはいられない」と衝動に駆られたそれらの事象について、自身の見解を綴り発信していくもの。問題提起も含め、ですね。
 
例えば、いま考えているのは
「W杯決勝戦、同点に追いつかれたメッシはなぜ笑っていたのか」
「フェアプレーやリスペクトという言葉の嘘」
「サッカーを教育論で語るな」など。
これらについてはたぶん長文やっつけてしまいます。近日公開。
 
もう一つは
あるテーマに沿って取材を重ねた上で、ルポ的に公開していくもの。
 
「ライター名乗るぜ!」と発表したとき、例として「新規クラブを排除して連盟に入れさせないようにするオジサンについても書きます」と宣言したら結構な反響をいただいた。この件、JFAはジュニアユース年代については数年前にトップダウンの通達を出して「新規のクラブもすべて受け入れろ」としてくれたのだけれど、それは、ジュニアユース年代の連盟はほぼ都道府県レベルだけで行われているから。だから話が降りやすいし通りやすい。
 
しかしジュニア年代に関しては、都道府県の協会や連盟の下に市協会もあってさらにその下には区の協会や連盟もある。
いったいいくつあんねん!と突っ込みたくなるのよホント。たらい回し地獄に自分も遭いました。
 
その一番下、区とかそのレベルで「新規のクラブなんか入れてたまるか」と、明確な基準もなくただただ既得権益を守りたい古参の生き残りみたいなオジサンが幅を利かせていて「あの人に筋を通さないと入れない」とか、そんなヤクザの世界みたいなことが平気でまだまだ全国各地でゾンビのように生き残っている現状。だからJFAもなかなか手出しが出来ずに「地域とうまくやってください」という定型分回答で済ませてしまう(経験談
 
ジュニアの伏魔殿。JFAがほぼスルー状態にして放置してきたこの問題に煮湯を飲まされてきた人、虐げられてきた人がたくさんいる。だからこそ、まだ記事を書いてもいないのに「書くよ」と宣言しただけであそこまでの反響があったのだと思うのです。
 
だから、これ本当に書くので楽しみにしていて下さい。ひょっとしたら伏魔殿に住むそんなゾンビオジサンたちにも言い分があるのかもしれないし、それを聞いた上で突っ込む材料はしっかりと用意しながらも、ちゃんと取材して問題提起していくつもり。JFAにも取材申請して波風立たせる記事にします。だから待っててね。
 
自身の選挙区の少年サッカー連盟を食い物にしてきた某大物政治家についても書きます。本当に【超】がつくほどの大物です。
私が行方不明になったり、東京湾にコンクリと一緒に浮かんできたり線路に突き落とされたらそのときは「あっ⋯」と察して下さい。
そんな安っぽい映画のような日本じゃないことを祈りますが。
 
別に書きたいことがあればライターやジャーナリストを名乗らなくても書けるじゃないかと思われるかもしれないけれど、それだと所詮は
「なんか意識高く見せてるウザいサッカーコーチの遠吠え」でしかないんですよ。
きちんと仕事としてやりたい。仕事、つまりお金にならなくても、そこは自身の中で燻って燃え始めてしまった使命感でなんとかやっつけたい。
 
だから
自分自身にケジメをつけ自分で自分の背中を押すという意味でも、今回こうやって敢えて「ライター」を名乗ることにしたわけです。
 
自分で スポーツコーチユニオン というものもやっています。種目を問わず、コーチとして生きる人たちの権利を守り、コーチの社会的ステイタスも上げていきたい。それを波風にして、この国のスポーツ環境そのものをもっと良くしていきたいとも思ってる。
そんな活動もしているので、そこともうまくリンクをしながら、スポーツ界に蔓延る「悪しき事象」には敢然と立ち向かっていきたいのです。
 
パワハラ、給与未払い、やりがい搾取。サッカー界、スポーツ界でその被害に遭っている人をたくさん知っている。
そこ、徹底的に究明していきます。
身近でもあったしまだそれは続いているから、そこにも背を向けずに、しっかりと対峙し発信もしていきます。
 
サッカーやスポーツだけじゃなく社会のあらゆることにもフォーカスを当て、自身が突き動かされたものには見て見ぬふりをせずに動いていきたい。
誰かのあしたのために。弱者の側に立って発信することを、ここで明確に意思表示しておこうと思います。
 
事実と真実は違う。
目に見える安っぽい事実ではなく、その裏に潜む真実にこそ光を当てたい。
年明けから、本格的に稼働していきます。
 
乃木坂や藤吉夏鈴ちゃんのことも書くけどな!(しつこい)

 

ライター、はじめます



 

皆さんこんにちは。

久保田 大介(くぼただいすけ/Daisuke Kubota)です。

 

これまでは本職サッカーコーチ、また自身でコーチのためのユニオンをつくって運営したり、サッカースクールを運営したり。そんな中で、あくまでもそれらの活動のために何か有意義なことへと繋がればという思いのもと、今まではほぼライフワークの一環として文章を書いてきました。

 

ライフワークと言いつつも踏み込みすぎて世間に波風を立たせすぎることも多々あったのですが、それらは確信と信念を持って書いたものなので、今でも後悔はしてません。たまにビビってたけど。

その中のいくつか、ここに置いておくのでよかったら読んでみて下さい。

 

燃えに燃えてしまってマジ大変だったやつ

neutralfootball.hatenablog.com

 

一番の反響があったやつ。殺害予告まで受けるという貴重な経験をしました

neutralfootball.hatenablog.com

 

指導者の皆さんこれ読んで下さい

neutralfootball.hatenablog.com

 

今こそこれ読んでほしい

neutralfootball.hatenablog.com

 

自分の中で最高傑作だと思っているのがこちら

neutralfootball.hatenablog.com

 

他にもここで多々書いているので、よかったら覗いてみてください

neutralfootball.hatenablog.com

 

これらの他にも、ジュニア年代で簡単に移籍できない問題などを書いた時は、ライターの鈴木智之さんに協力もしていただいて、実際に大きな壁を動かす一石にはなったと思っています。

 

そうして、コーチ業などと並行しながら時おり趣味の延長・ライフワークの一環として文章を書いてきたのですが、人生も折り返し地点を迎えようとしている2022年秋、ここで一念発起し、プロの「ライター」を勝手に名乗ることにしました。

 

えっと

基本チキンなので確認ですが

ライターって資格いらないっすよね?勝手に名乗っちゃって大丈夫ですよね?

 

ということで、これからは

誰かのあしたのために、そして自身が生きた証を残すために文章を描いていきます。

 

これまで「育成年代のこういう闇の部分、サッカージャーナリストの人は何故書いてくれないんだ。スペインとか戦術とかどうでもいいから、こういうところをもっと取材してくれよ」なんて勝手に憤っていた事柄も、これからはもう自分で取材して自分で書きます。

 

この「LOGOS 〜 あしたのために」をホームとしながらも、依頼していただける媒体があれば、積極的に書いていきます。

 

Footballのことはもちろん、でもそれだけでなく社会のこと、スポーツのこと、それらを取り巻く環境や現状など、表には見えない部分にも光を当て、闇にも斬り込んでいきながら、読んでくれた人の明日の活力になるように。

ここに描いたひとつの羽ばたきが、社会に向けてほんの少しでも波風を起こせるように。

 

誰かの気づきになるように。

誰かに笑いを届けられるように。

誰かの、希望と救いになれるように。

 

これまで忖度したり遠慮して「触れてこなかった」事柄や人、組織などにもこれからはどんどん潜り込んで斬り込んで、さまざまな火をつけていければと思っています。

新規クラブを排除して連盟に入れさせないオジサンのところにも取材に行くし、地域の少年サッカー連盟を食い物にしている某大物政治家のことも、近いうちに必ず書きます。楽しみにしていてください。

 

ソーシャルな野心を燃やし、自分にしか出来ない表現で文字に残します。

虎穴に入らずんば虎子を得ず。どうかご期待ください。

硬派なことだけじゃなく、乃木坂や藤吉夏鈴ちゃんのことも書くけどな。

 

「本当に」を使わずにリアルさが伝わるように

「最高」を使わずに「最高だった」ことが伝わるように

「素晴らしい」を使わずに、素晴らしさが伝わるように。

 

もっと精進します!

取り急ぎ、まずは短めにご挨拶まで。

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過去記事はこちら

Neutral football

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個人のことは引き続きこっちで

「 くぼっちnote 」

Daisuke Kubota / あしたのために|note