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目を澄ませるべきは僕らだった 〜 名作「ケイコ 目を澄ませて」

2022年の大晦日、一年の最後にとても良い映画に出逢うことができた。
 
「ケイコ 目を澄ませて」
聴覚障害者の女子プロボクサー、ケイコの物語。
 

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良質で、上質で、情熱的な物語。全編に渡りあたたかく、何よりケイコを演じる岸井ゆきのがとにかく凄い。彼女を見守る会長役の三浦友和も、とても大きくあたたかい。
 
ありきたりのお涙頂戴ではないし、障害を乗り越えて!という安直な物語でもない。
劇的な展開もハッピーエンドもどんでん返しもないけれど、でも。思い出すだけでとめどなく涙が出てくる、そんな作品。
個人的には、ここ数年の邦画で間違いなくNo.1の名作。
 

 
ケイコは言葉を発さないけれど、ケイコの目や表情が言葉以上に雄弁に彼女の想いを語る。それを僕らも見逃してはいけないから観ている僕らこそが目を澄ませてこの映画を観ないといけないのだと、映画が終わった後に気づかされる。きっと一回観ただけではケイコの心の奥底には到底辿り着けていないし、彼女の衝動や慟哭、はたまたちょっとした気持ちの変化、そしてなぜ彼女がまたボクシングを続けようと思ったのかというその刹那の瞬間をきっと俺は見逃しているはずだから、これはまた明日にでも観に行きたいとすぐに思った。
初見だけでは辿り着けなかったケイコの心の機微や変化を、それこそ「目を澄ませて」感じ取りたいと。
 
物語の断片断片やケイコの表情を思い出しながら大晦日の夜を過ごしモヤモヤした結果、さすがに2日連続元旦の日に行くのは避けたが(行く寸前だったけれど)1月2日の昼、溜まらずに2回目を観に行ってしまった。
最初から「目を澄ませて」心を研ぎ澄ませて観ようとしたおかげか、初見よりもこの2回目のほうがよりケイコの変化を感じ取ることができた気がする。初見では気づかなかったケイコの表情や目の変化から、彼女の喜び、悲しみ、迷いや憤り、そして希望を、少しは感じ取れた気がする。その分、初見よりも今回の方がズシりと沁みた。3回目行くなこりゃ。
 

 
希望を失いかけていたケイコに会長が優しく語りかけるシーンで僕らは初めてケイコの声を聴くことになる。彼女が振り絞るように出す小さな声、会長のやさしさと大きさ、そして会長を心から信頼して頼っているケイコを見て堪らない気持ちにさせられる。どうか幸せになってほしいと、スクリーンの中のケイコに思いっきり感情移入し涙を堪えるのが難しかった。

そして再びボクシングをしようと決めた直後、会長と一緒にシャドーボクシングをするシーン。
ケイコが泣いている。いや、泣くのを我慢しているというべきだったか。このシーンでとうとう涙腺が豪快に崩壊した。何度でも観たい、日本映画史に残る名シーンだ。
 

 
実はこの作品、BGMが一切ないんですよ。でも「音」が欠かせない映画。さまざまな「音」が、この映画のもう一つの主人公。
その秘密は実際に劇場で観て聴いて感じてほしい。絶対に映画館で観るべき作品だと言い切っておきます。
 
劇中で唯一流れる音楽は、ケイコの弟が劇中で弾き語るまだ創りがけの曲の一節のみ。この曲は予告編でも流されているのだが、これがまた実にいい。ミュージシャンを志す心優しい弟と、その彼女のハナ。彼女はケイコとコミュニケーションを取りたくて手話を習い始める優しさを持っている。そんな彼女に、ケイコも心を開いていく。
 
 
ケイコ、弟、ハナの3人が団地の外で一緒にシャドーボクシングをしたりハナがケイコにダンスを教えたり。このシーンでは滅多に見られないケイコの満面な笑顔が見れる。見ているこちらも思わず嬉しくなってしまう。このシャドー&ダンスシーンでも、そして会長の奥さんがケイコの日記を朗読するシーンでも、そのバックには弟が奏でるアコギと鼻歌だけの良曲が数分やさしく流れる。それはまるでケイコをやさしく見守り包む弟だけでなく、会長をはじめケイコの周りにいるあらゆる人達がそのやさしさでケイコを包んでいる象徴のようにも聴こえて、僕らの心により沁み入ってくる。
 

 
難聴というハンデを抱えながらも今を生きるしかないし、これからも今を生き続けていくしかない。そこにボクシングという生きがいをどう繋げていくのか。それはこれからもきっと続いていくケイコの物語であり人生そのもので、何も派手なラストではないのだけれど、会長からもらったキャップを被りなおし土手を駆け上り走り出していくケイコの姿に、明日も普通に続いていく彼女のこれからが、観ている僕らの心の中で紡ぎ出されていく。

やはり音のないエンドロール。しかしそのエンドロールが全て終わった後に聴こえてくるある「音」によって、僕らは彼女の今の明確な意思を感じ取ることができる。映画の物語はここで終わるけれど、彼女の人生はこれからも続く希望の物語なのだということに安堵しながら席を立つことができた。少なくとも自分はそうだった。
 

 
静かだけど、雄弁に語る物語。海外では「小津がミリオンダラーベイビーを撮ったような作品」と評価されたとか。とても言い得て妙だ。
 
年の最後と最初に衝撃的な好作品に出会えた幸せを感じながら、新年を迎えることができた。
岸井ゆきのが天才。